2011年7月24日まであと500日余りとなりました(※本稿は2010年2月に執筆しました)。そうです。地デジ化のスケジュールです。来年の夏にはこれまでのアナログテレビ放送が終了し、全て新しいデジタル放送に移行が予定されています。みなさん、準備はできましたでしょうか。
今回の地デジ化は、テレビ放送史上例のない大転換となります。日本のテレビ放送の歴史は、1953年のNHKによるテレビ放送の開始に遡ります。当時は白黒テレビ放送でした。その後、カラー化という最初の転換期が訪れます。カラー放送が1957年の試験放送を経て1960年から始まりました。カラー化の時には、白黒テレビとカラーテレビの間には技術的な互換性がありました。つまり、白黒テレビでカラー放送を受信した場合には白黒で番組を見ることができ(これを下位互換性といいます)、カラーテレビで従来の白黒放送を受信した場合にも白黒で番組を見ることができました(これを上位互換性といいます)。放送方式に互換性があると、放送局は白黒番組とカラー番組を混在させた番組編成が可能なので、放送局の機器設備も順次カラー対応に行進していくことができましたし、視聴者の側でも、すぐにカラーテレビに買い換えなくても「とりあえず白黒で」番組を見ることができましたから、放送のカラー化のスケジュールとは無関係に、買い換えたいときにカラーテレビを買えば済みました。このように互換性を伴ったテレビ放送の転換は、ステレオ・二カ国語放送の開始の時にも見られました。
しかし、今回の地デジ化は互換性を伴わない放送規格の転換になります。従来のアナログテレビでは地デジが受信できませんし、アナログ放送波と地デジの放送波は、それぞれ異なる周波数や信号の方式を採用していますので、一つの放送波の中にアナログとデジタルの番組を混在させることもできません。現在のテレビ局は、同じ番組を放送する場合にも、アナログテレビ用にはアナログ放送波を、地デジテレビ用にはデジタル放送波を別々に送出する必要があり(これをサイマル放送といいます)、放送局にとっては二重に信号を送出することになるので、経営的にも負担になっています。かといって、アナログ放送を停波してしまうと、従来の受信機が全く使えなくなるのです。そこで、放送局も視聴者も一気にデジタル化を行おうと、鹿にタイツという謎のゆるキャラまで動員して、国家的一大事業としてデジタル化を推進しているのです。
大きな負担を伴ってまでテレビ放送をデジタル化しなければならないのは、電波資源の有効活用という理由があるのですが、視聴者にとってのメリットは、デジタル化によって高品位でノイズの少ない映像が楽しめることやデータ放送の拡充などが挙げられます。ちなみにデータ放送はそれほど見ないという人も多いと思いますのでメリットとして実感しにくいかもしれませんが、地震などの緊急災害放送や、聴覚障がい者のための字幕放送が大幅に増えるなど、社会的にはとても大きな意義があるといわれています。
さて、地デジ化の背景は前置きの話なのでこれくらいにして、地デジ化にむけてこれからテレビを買い換えようという時にどうやってテレビを選ぶのかという話をしたいと思います。最初に気になるのはサイズです。特に今まで画角が4:3のテレビ(ワイド画面でないテレビ)を使っていた方は、いったい何インチのテレビを買えばいいのか悩むかもしれません。テレビのインチサイズは画面の対角線の長さで表しています。最近のテレビは16:9のワイド画面になっていますので、対角線の長さが一緒でも画面の高さ方向の寸法は4:3よりも小さくなってしまいます。4:3からワイドへの買い換えの場合は、現在使っているテレビのインチサイズよりもプラス数インチのサイズを選ばないと画面が小さくなったような感じを受けるかもしれません。ちなみに、ブラウン管の時には実際に画が出ている領域だけでなくその外側の縁も含めた長さなのですが、液晶やPDPは有効表示サイズ(Visible Size)といって、光っている画面部分の長さになります。日本では32V、40Vといった感じにVをつけることで有効表示サイズであることを示すことがあります。大型テレビの場合は、大まかですが「ブラウン管の体格寸法-2インチ=有効表示サイズ」となりますので(小型の場合は-1インチ)、ブラウン管の32インチは約30V、ブラウン管の21インチは約20Vと同程度の大きさになります。
次に気になるのは画質か値段かといったところでしょうか。画質に関して言えば、放送波がデジタル化されたことでスノーノイズ(ざらついた感じの画面)やゴースト(画面の右側に二重三重に輪郭が重なって見えてしまう現象)はほとんどなくなりました。それ以外で違いが出やすいのはコントラストと動画性能です。コントラスト(画面の暗いところから明るいところまでの表現力の幅)はカタログに数値が表記されていますが、これは表示パネルの性能値であって、実際にテレビ放送を受信したときのコントラスト感とは異なります。電気店の店頭でコントラストを比較するときには、同じ画面で人の髪の毛がどれだけ細かく表現できているかを見ると、黒色の再現力が分かります。髪の毛の一本一本がはっきり見えているか、それともべたっと黒くつぶれてしまっているかです。もう一つは白色の再現力です。建物の壁などの白い壁の微妙なグラデーションが表現できているかどうかで分かります。動画性能というのは、不規則な動きの多いシーンでギザギザ感(これをジャギーといいます)がなく、スムーズに動いているかを見ます。競技場の観客席や小川のせせらぎなど、不規則で細かな動きがあるシーンや、電車が左右にスクロールするような動きの画面で性能差を見ることができます。一度、店頭でじっくり見てみてください。
といっても、本当にそこまでの性能がいるの?という疑問が残るかもしれません。画質の善し悪しを判別するこれらのポイントはどれも重箱の隅をつついた話といえるかもしれません。なぜでしょうか。それこそ、デジタル化が抱える一番のジレンマなのです。デジタル化によって、基礎的な技術レベルが一気に引き上げられました。それによって、消費者が必要とする品質や機能・性能のレベルを達成することが容易になり、時には消費者の要求以上のオーバースペックが実現するようになりました。今日、店頭で見かけるテレビはどれもきれいで普通に視聴する分には十分高性能なのです。メーカーが技術革新による機能・性能競争を続けても、消費者がその違いを認知できなければ、製品の差異化にはなりません。結局は、同程度の製品であれば安い方がよいということになり、価格競争に陥ってしまうのです。
それでは、メーカーはどの様に消費者の心とサイフを掴もうとすればよいのでしょうか。ひとつには、微妙な製品の性能・機能差を消費者が認知できるように顧客の啓蒙活動に注力するという方法があります。(が、それはまた別の機会の話と言うことで・・・)もうひとつは、機能・性能軸とは異なる製品の価値の軸を作るという方法が考えられます。
テレビは、オーディオやビデオといった「趣味のAV機器」であると同時に、冷蔵庫や洗濯機などの白物家電同様に家庭の必需品でもあります。これまでのテレビは、画質や音質といった「マニアの心をくすぐる」性能・機能軸で製品の差異化を実現してきました。しかし、AVマニアではない消費者により高付加価値な製品を提供するには、従来の機能・性能軸とは異なる価値を提供しなければなりません。その一つがデザインです。
図は、ここ10年で世界のテレビ市場のトップブランドに上り詰めた韓国・三星電子のテレビ製品のラインアップの考え方を示したものです。これまで、多くのメーカーのテレビのデザインは、より高性能・高機能な製品ほど、高品位なデザインを採用するというものでした。三星電子は、2006年に発売したボルドー(Bordeaux)というテレビで、赤ワインの注がれたグラスをイメージしたデザインを採用し、欧米で高シェアを獲得しました。しかし、このボルドーの製品ラインは機能・性能軸で最上位となる製品ではないのです。三星の製品ラインは大別すると、エントリーモデルとしてPDPテレビ、中クラスの製品としてLCD(液晶)テレビ、最上位クラスにはLEDテレビ(LEDバックライトを採用した液晶テレビ)という3ステップの構成を取っています。この中で、ボルドーのデザインは中クラスのLCDテレビに採用されおり、最上位のLEDテレビは伝統的なAV機器同様のブラック&シルバーの色のデザインが使われています。
この三星の製品ラインは、機能・性能軸とは異なるデザインという新しい顧客価値の軸の提案と考えられます。エントリーモデルからのステップアップを消費者に提案する際に、従来のAV機器としての機能・性能軸を重視する顧客には高性能なLEDテレビに伝統的なAV機器のデザインを採用したモデルを提案し、機能・性能軸では響かない顧客には、リビングのインテリアの一部としてのテレビ、つまり、機能・性能よりもデザインを訴求したテレビとしてボルドーを提案していると考えられるのです。三星電子のめざましい飛躍の要因は、単に技術レベルの向上というだけでなく、新たな価値の軸を作ったということが挙げられると考えられます。
もちろん、良いデザインを実現するためにも技術が必要です。いくら有名なデザイナーにデザインを発注したとしても、デザイナーのアイデアを製品の中で実現するためのメカニカルな技術が伴っていないと、文字通り「画に描いた餅」になってしまいます(デザイナーが描いたスケッチはすばらしいのだけど、様々な技術的な制約で完成した製品はいまいち・・・ということになりかねないということです)。
特にテレビという製品は、その面積の大部分を表示画面が占めてしまいますので、デザインで差をつけることができるのは基本的に「額縁」部分だけです。それをどの様に見せるのかが各社の腕の見せ所になるのですが、広い意味で言えば、画面上に表示させるGUI(メニュー画面などの操作インターフェースのグラフィック表示)の見せ方や操作性もデザインの一部といえるかもしれません。店頭でテレビを選ぶときにはメニュー画面や番組表の見やすさ、かっこよさ、使いやすさといったポイントも評価対象になるかもしれません。
意外と買うときには気づかないのですが、日常的に大きな影響があるのがリモコンのデザインです。リモコンのボタンの配置や見やすさもチェックしてみるとメーカーごとに個性が出ています。リモコンを持つときは、大抵の人が(1)左手で持って、右手の人差し指でボタンを押すか、(2)右手で持って右手の親指でボタンを押す、のいずれかの使い方をしていると思います。片手で持つ場合(つまり(2)の場合)、持ったときに自然に親指が置かれる位置が、よく使うボタンになるように設計されていることが多いのですが、その位置にチャンネルや音量の+/-ボタンがくる機種と、10キー(チャンネル番号ボタン)がくる機種があります。頻繁にザッピング(+/-ボタンでチャンネルを上下していく)しながら番組を選ぶ人なのか、10キーでの選局がメインなのかで、趣味が分かれるところです。最近は、メニュー画面での操作をメインにするため、上下左右と決定ボタンが「親指ポジション」に来る場合もあります。
最後にバリアフリーとデザインの話を。かつて筆者が商品企画の仕事をしていたときに、「電源ボタンはバリアフリーの観点から緑色にしなければならない」という社内ルールを聞かされていました。なぜ緑色なのか?電源ボタンは全ての家電製品に共通の重要なボタンなので最も注意を喚起する色とボタンの位置にしなければならず、位置で言えば、リモコンの一番右上は電源ボタンの指定席でした。では色はというと、注意喚起をするのであれば、赤色や黄色なども考えられますが、全ての年齢層で視認性が高い色ということになると、緑色なのだそうです。色の視認性は年齢によってことなります。高齢化すると、黄色いフィルターを通したような見え方になると言われており、赤色は黒色っぽくなり、黄色は白色っぽくなるそうです。年齢の変化に対して視認性の変化が少なく、視認性が高い色、ということで緑色を使おうという発想でした。バリアフリーは社会的な要請であると同時に、企業にとってのビジネスチャンスでもあります。バリアフリーは高齢者や障がい者専用の製品ではなく、若者や健常者にとっても価値のある製品であることが求められます。全ての消費者に受け入れられるデザインでありながら、高齢者や障がい者にとって便利になるデザインを採用していくことも、新たな製品差異化につながるのではないでしょうか。年金問題など、日本の高齢化社会の到来は危機感や不安感という文脈で捉えることが多いのですが、先進国の中でも長寿化の先陣を切っている日本市場で企業が鍛えられることは、バリアフリーの分野での技術やノウハウの蓄積にもつながるので、日本の製造業にとってはチャンスと捉えることができるかもしれません。
神戸大学経済経営研究所
准教授 長内 厚
※この記事は、『神戸大学経済経営研究所リエゾンニュースレター』No.87(2010年2月号)に寄稿したコラムです。